Soul & Beat Unit 天地人

「天地人」はインストルメンタルバンドである。歌はない。
しかし、奏でるメロディはエネルギーとなって聞く人の身体に深く染みいり、細胞を活性化させる。
「天地人」の音魂に全身が共振すると、神経は安らぎ、癒され、そして活気づく

 

 

天地人 とは

自然界の五大元素 “地・水・火・風・空”。
北東北に充満するエネルギーを全身で受けとめ、
結成されたソウル&ビートユニット「天地人」。
メンバーは、元「オフコース」のドラマー、大間ジロー。
そして、津軽三味線界の鬼才、黒澤博幸。
東北の大物2名がロックとジャズと民謡をクロスオーバーさせ、
新時代のサウンドを未知国(みちのく)から発信する。

天と地と人の心を綴るメロディ。
熱く若々しいビートと繊細華麗なリズム。
光と影、陰と陽、静と動を調和させながら、
「天地人」が即興で生み出していくのは、ダイナミックな光のサウンド。

閉塞した現代に、強い生命力と“気”を吹き込む「天地人」。

2011.3.11以降、復興支援コンサートを国内外で行なってきた「天地人」は 2013年、結成10年を迎えた。

未知国(みちのく)の語り部「天地人」が
お届けするのは、神気あふれる壮麗な音の響宴。

「復活」の時代にふさわしい、鮮烈な「光の音魂」をお楽しみください。

 

 

 

大間 ジロー ドラムス パーカッション

自然との調和を目指す21世紀型アーティスト

 1954年、秋田県小坂町生まれ。10代の頃に、ビートルズを始め、英米のロックに影響を受ける。18歳で上京。1976年、21歳で「オフコース」にドラマーとして参加。以来、オフコースは80年代を代表するグループのひとつとして活躍。伝説の日本武道館10日間コンサートや「さよなら」「YES-NO」などヒット曲は多数。1989年の東京ドームでの解散まで、「オフコース」のアルバム22枚、シングル36枚、コンサートは800公演に及ぶ。

 20世紀の日本ミュージックシーンをリードし、一時代を築き上げた「オフコース」。解散後、大間は、90年からドラマーとして数々のアーティストのアルバムやライブに参加するかたわら、音楽プロデューサーとして新人アーティストの育成の仕事を開始。

 95年、秋田市に移住し、故郷秋田を拠点に活動を再開する。ソロワークとして、エフエム秋田パーソナリティー、トークライブ、スクールコンサート、イベントプロデュースと多方面にわたり活躍。99年には元オフコースのメンバー清水仁、松尾一彦と3名のユニット「ABC」を結成しライブ活動を開始。


天地人について


 2000年に大館曲げわっぱ太鼓の大沢しのぶ(初期メンバーとして10年間活動。2013年1月31日に天地人を卒業)に、そして2001年に津軽三味線奏者の黒澤博幸に出会い、大間の呼びかけで2003年に津軽三味線&打楽器ユニット「天地人」が誕生する。

「黒澤の奏でるメロディーラインに突き抜けたものを感じ、彼の持っている凄みに惚れました。大沢しのぶにもひとつのことをやり続けてきた深みがある」

 若手の才能を引っ張りだした大間は"本気"で「天地人」の活動を行っている。「オフコースが解散して20年。これからは、21世紀型のエゴのない自然と調和した新しい音楽にチャレンジし、もうひとつの新しく大きな山を越えて行きたい」と語る。

 「天と地。その上で人は生かされている。地水火風空。そして人。それぞれのエネルギーが調和する北東北に生まれ育ったルーツを大切にしながら独創的な音を紡ぎだす。そして刹那を生きる。今を懸命に、誠を尽くして生きる。"生かされている"という感謝を音楽を通して表現していきたい」

 光と影、陰と陽、静と動など、相対するふたつの事柄の調和が「天地人」のコンセプトだと大間は言う。

 「天地人は即興のユニットです。インプロビゼーションだからこそ、BGMではないメッセージを伝えることができる。北東北育ちの我々は精神的バックボーンが同じです。同じスピリチュアリティを軸にして活動しています。私たちの精神を通じて生まれる音が天と地をつなぎ、ライブをする場所に自然界の"気"を入れ、場のエネルギーを整えることができれば、と思います。これまでも天地人は"元気をもらえるバンド"と言われてきました。私たちの音から生きる力を感じていただけるのは、嬉しいことです。若いメンバーと、また自然と調和しつつ、いつも幸せな笑顔をたたえていたいですね。そして、音楽を通じて皆さんのお役に立たせていただければ、と思います」

黒澤 博幸 三絃・津軽三味線

清く奔放な"気"を奏でる三味線奏者

 

 1972年、岩手県盛岡市生まれ。7歳から三味線を習い始め、中学生で料亭や民謡酒場での演奏経験を積む。17歳で白川流津軽三味線奏者の井上勇美人(ゆみと)氏のテープで学び、更に津軽三味線の巨匠、高橋竹山氏のテープを譲られ、津軽三味線を独学で学ぶ。竹山の哀愁を帯びたフレーズ、白川流の華麗なテクニックとダイナミックな叩きを学び、独自の奏法を完成させていく。

20歳で作曲を始め、多彩な活動を試みる。

 2002年〜2004年、津軽三味線発祥の地で行われている「津軽三味線全日本金木大会」最高賞の「仁太坊賞」を3年連続獲得。栄誉ある「仁太坊賞」を3年連続獲得したチャンピオンは、黒澤博幸が最初である。

 現在、津軽三味線の師匠として、県内で数多くの弟子の指導にあたる他、姫神のアルバム制作に参加、沖縄の三線と津軽三味線の共演や、さまざまなジャンルのミュージシャンとのコラボレーションなど、プロ演奏家として幅広い音楽活動を続けている。


津軽三味線と天地人


 津軽三味線は150余年前、盲目の芸人、仁太坊こと秋元仁太郎が苦境の中で命懸けで作り上げた民族芸能。仁太坊の芸人魂を受け継ぐ黒澤の見事なバチさばきは、雪原の合間を流れる清流の勢いを思わせる。そこには、音が生命を持ってひとりでに動き出すような美しい躍動感がある。

 「365日、同じ天気はないように、自然は一瞬ごとに変化して行くもの。天地人は自然のエネルギーに逆らわず、即興性を大切にしています。だから同じ曲を100回演奏しても、100回とも違って聴こえるはずです」

 叩き奏法、弾き奏法、そして、つまびき。ロックのギタリストのように時に激しく、時に繊細に津軽三味線を弾き鳴らす黒澤の優れた才能は、作曲面でも発揮されている。

 天地人のメロディーメーカーは、黒澤自身である。

 「晴れでも嵐でも、自然に逆らわずに生きる北東北の人々の姿を音楽を通して世界の人々に伝えたい。そして、聴く人が元気になる応援歌を作って行きたいと思います」

 今年で三味線をもって35年。卓越した奏法とオリジナリティ溢れる作曲の才能を持つ黒澤が表現するのは、天と地のエネルギーに呼応して生きる人の"気"そのもの。その"気"は、清く芳烈。豪雪を弾く木々の枝のように強くしなやかだ。